Global Academic Community2019研究会 研究報告書
題目:リスクマネジメント時代における企業法務の在り方 宮原健一朗
[はじめに]
近年の我が国における急激な人口減少やグローバリゼーションの進展等による社会や経済構造の変化に伴い、企業を取り巻く環境は大きく変容している。このような大きな変革期のなかで、企業が存続し、かつ成長を続けていくためには、当該環境において自社を取り巻くリスクを正しく把握し、それらに対して適切な対応を取れるか否か、また万一の場合にも発生する被害を最小限に抑えられるような体制を整備しているかどうか、といった「リスクマネジメント能力」を兼ね備えているかどうかが極めて重要な問題といえる。
特に、近年の我が国では従来の概念や想定の範囲を超える規模の自然災害が発生するなど、直接的か間接的かを問わず、企業の経営に多大な影響を与える可能性のあるリスクが多く潜んでおり、かつそのリスクは非常に多様化している。このような様々なリスクを幅広く把握し、効果的に対応できる企業となるためには、リスクマネジメントに特化した専門部署を置くことが必須となる。
リスクマネジメントとは、様々な危険による不測の損害を最小の費用で効果的に処理するための経営管理手法であるといえる。企業が存続し、成長を続けていくことをその目的とする場合、自社のリスクを効果的に処理するために、リスクマネジメントに関する専門部署により早期に正しくそのリスクを把握し、適切な対応を取った上で、自社の経営体力に応じて投資を行い続ける必要がある。そして、企業におけるリスクマネジメントに関する専門部署として最も重要な部署といえるのが企業法務部門である。企業は、自社の特性や企業法務部門の発展段階に合わせ、今までにない視点や手法を組み合わせながら、運営上の実質的な充実を目指すべきことは言うまでもない。
企業はいま、冒頭の環境の変化に加え、「事前規制」から「事後監視・監督」(「事後チェック」)社会への移行、外国人投資家増加に伴う“モノ言う株主”の台頭や内部告発の増加など、様々なリスクに囲まれている。また次々と発生している組織絡みの不正・不祥事は、このリスクに対する理解・認識の低さ、準備不足が表面化した結果ともいえるであろう。
このような背景を踏まえ、本報告では、我が国における企業のリスクマネジメントへの取組と企業間の取引、特に契約や契約書に対する認識と実態について分析を行い、それらの課題について抽出し、整理した上で、今後の企業のあり方についての検討に資することを目的として提言等を取りまとめる。また、最近の関連文献や統計等を通じて、現在及び今後の企業法務における課題に焦点を当てて、我が国の企業におけるリスクマネジメントの現状の実態と課題を把握したうえで、このような変化に対応して各企業の企業法務部門がどのような方向に踏み出すべきなのか、その方策について述べてみたい。
[我が国における企業法務の認識]
我が国における企業の法務部門の役割が益々重要となってきている。その背景には、現在の企業を取り巻く環境の変化から、経営層が企業内における「日常の準備として注力すべき分野」について、「契約・取引全般」を極めて重要と認識しており、「契約・取引」に関する法務分野のニーズが高まっている傾向があることが挙げられる。(東京都地域振興推進事業「中小企業の法務対応に関する調査報告書」2015年)
日常の準備として注力すべき「分野」【複数回答】
(東京都地域振興推進事業「中小企業の法務対応に関する調査報告書」2015年)
上記図表のとおり、東京23区に事業所のある中小企業および小規模事業者 5,085社(有効回収数1,113件(回収率21.9%))を対象に調査した結果「日常の準備として注力すべき分野」で「契約・取引全般」が最も多く回答されている。
また、商事法務研究会「法務部門実態調査の調査結果2010年中間報告」において、法務部門が「重要視されている」(36.9%)あるいは「ある程度重要視されている」(54.9%)と考えている企業は併せて91.8%にもなる。
これらに伴い、各企業において、企業内弁護士として、弁護士を雇用あるいは顧問弁護士として起用し、または外部弁護士を活用するなどして法務部門の強化を図っている企業が近年目立っている。また法務の経験を積んだ人材の中途採用、法律事務所からの出向など外部からの人材の登用等を実施し、企業理念や事業目標とリンクした法務部門の構築を推進している企業が増加している。
[企業法務の実態]
法務部門とは、いわば企業にとって「契約・取引全般」に関する法律面での「ホームドクター」にあたる役割を果たす部門である。企業におけるこういった法律関係の問題を処理し、トラブル、紛争、犯罪、違法行為その他による損害を「未然に予防」することを主な業務としている。「契約・取引全般」については重要であるとの認識が深まる一方で、この専門的部門である法務部門については、どのように認識されているのであろうか。
今回は、法務部門の実態について、東京商工会議所、公正取引委員会等のアンケート調査・報告をもとに確認し今後の発展可能性について概観する。
〈調査概要〉
〇調査機関:東京商工会議所
〇調査期間:2018年 11月19日~12月3日
(比較調査:2014年)
〇調査対象:8,667件
(郵送5,003件/メール3,664件)
〇回答方法:郵送による回答もしくはウェブページ上での回答
〇有効回答数:921件(回収率:10.6%)
東京商工会議所の2018年の上記調査概要に基づく調査報告によると、法務担当者(兼任を含む)を「設置していない」と回答した企業が67.2%と、6割を超えていた。なお、「設置していない」企業は、過去に調査した3年前よりも増加しているのに対し、「専任担当者」を置く企業は増加しているのが分かる。
契約書類等のリーガルチェックを行う専門担当者の有無
「兼任の担当者がいる」「専任の担当者がいる」企業での担当者の人数の分布
なお、上記の図の通り、専任・兼任いずれも担当者の人数は「1名」が5割以上であった。企業法務の重要性は認識しつつも、人材不足、特に企業法務の経験を積んだ専門性の高い人材(プロフェッショナル)の不足により、いわば「法務部門に手が回っていない」状況であるものといえる。
次に、「資本金との関係」については、次のようなことが見てとれる。
「契約などの内容をチェックする担当者(法務担当者等)」はいますか。との問いに (複数回答)(N=888)を求めたところ、資本金が少ないほど「設置していない」割合が高く、また前述の通り、当然ながら従業員数が少ないほど「設置していない」の割合が高い。これらは、「単に資本が無いため」ともいえるが、言い方を変えれば、経営層が法務部門を、「単なるコスト部門のひとつとしか認識できていない」ということもできる。
[リスクマネジメントと企業法務]
法務担当を設置していない企業にアンケートを求めたところ、その理由として挙げられたのが、「担当者を置くほどの問題がない(53.0%)」「その都度最適な人が対応すればよい(11.0%)」であった。このことから、企業法務の重要性を感じていると一言でいっても、その認識には企業によって差異があるものといえる。
一方、法務担当を設置している企業に「法務担当を設置している理由」を求めたところ、下記の通り「大きなリスクの発生予防(33.0%)」が挙がっていたことから、前述の(法務担当を設置していない)企業と比べ企業法務の重要性、ひいては自社におけるリスク管理(リスクマネジメント)を重く捉え、その重要性を認識している結果であるといえるであろう。
それでは、法務担当を設置していない企業では、契約書等のチェックを誰が担っているのであろうか。同調査によると、2014年も2018年も下記の通り大半がその社長自らが行っていることが分かる。企業における法務機能が機能していないがために、経営層自らが法務機能を果たさねばならず、これでは企業が健全かつ持続的に成長するためのビジネスモデルとして望ましくないことは言うまでもない。
なお、下記グラフは、2014年から2018年の間における売上の増減と法務担当の設置・非設置との関係を表したものである。法務担当非設置の企業では売上が「減少傾向」となったとする割合が高いのに対し、「兼任担当者」「専任担当者」を置く企業ほど、「増加傾向」の割合が高くなる結果となっている。このことから、自社におけるリスク管理(リスクマネジメント)の重要性を認識しているか否かの差異が売上の差異にまで影響してくるものであるということができる。
なお、本調査データにおける調査対象企業の属性については、以下の通りである。
事業形態:「会社」90.9%
「個人事業主」4.2%
「団体」0.7%
業種分類:「製造業」29.9%
「サービス業」21.8%
「卸売業」14.3%
主な製品・サービス:「事業者向け製品・サービス」56%
「事業者向け・消費者向けの両方」27.7%
「消費者向け製品・サービス」10.2%
販売先:「国内のみ」68.1%
「海外との取引あり」26.2%
従業員数:「1~20人」53.7%
「21~100人」27.6%
「101~300人」9.4%
うち管理部門の人数:「1人」11.4%
「2人」7.3%
創業からの社歴:「31~100年未満」53.7%
「11~ 30年未満」28.7%
「4~10年未満」7.9%
資本金:「1千万~5千万円未満」57.3%
「5千万~1億 円未満」13.1%
「1億円~3億円未満」 6.7%
また、公正取引委員会が、東証一部上場企業1、684社に対し、当該企業の法務・コンプライアンス担当部署による回答を求めた(匿名回答可)アンケート調査票の結果によると、下記の通り、ほぼ全ての企業において法務部署が設置されている状況であった。専門的な法務部署にてリーガルリスクを回避することはもちろん、新たなビジネスの創出、市場の獲得等にも重きを置き、株主の要望に応え得る戦略的経営を実現しなければならない企業にとっては、当然ともいえるであろう。
〈調査概要〉
〇調査機関:公正取引委員会
〇調査対象:東証一部上場企業1、684社
〇回答方法:アンケート調査票よる回答
〇有効回答数:1、030社(回収率:61.2%)
うち、純粋持株会社は80社(7.8%)
平成22年6月公正取引委員会調べ(‐企業における独占禁止法に関するコンプライアンスの取組状況について‐)
[これからの企業法務・リスクマネジメント]
昨年4月、経済産業省の有識者会議が日本企業向けに、法務担当者を経営に積極的に参画させるよう求める報告書をまとめた。海外の法律や規制、知的財産問題への対応を迫られる局面が増えている現状を指摘し、企業の法務部門を率いる役員「ゼネラルカウンセル(GC)」や「CLO(チーフ・リーガル・オフィサー、最高法務責任者)」を設置し、経営中枢と密に議論できる環境を整えるべきだとしている。
経済産業省が掲げる法務機能強化に向けた課題と企業に求められる取組については、下記の通りである。
【課題】
- 経営層が法務部門を、単なるコスト部門のひとつと認識している傾向がある。
- 法務部門の責任者が経営に関与していない等、組織上、経営と法務がリンクしていない。
- 新たな法務機能を担うスキルを持ったプロフェッショナル人材が不足している。
【求められる取組】
- 経営層の発想の転換(リスクマネジメントの構築)
- 複雑化・多様化するリスクへ対応しながら企業を成長させていくためには、経営層が経営環境の変化を認識した上で、法務機能を有効活用しなければならない。
- 適切にコントロールすれば取る余地のあるリスクもあることから、リスクは、すべて排除するものではなく、コントロールするものであると認識する必要がある。
- リスク判断に当たっては、経営層と法務部門が一体となったリスクマネジメントを構築することが必要かつ有益である。
- GC、CLOの設置
(なお、GC・CLOとは、①ビジネスの経験を積んだ法律のプロフェッショナルであり、②法務部門の統括責任者であり、③経営陣の一員としての職責を果たす、ポジションとしている。経験を積んだ法律のプロフェッショナルを経営陣の一員とすることで、法的知見をダイレクトに経営に活かすことができ、経営と法務が一体となって強固な経営戦略の構築が可能となり得る。)
法務機能は、「守り」と「攻め」の観点から整理することができる。
リスクマネジメントという言葉から、リスク(危機)というマイナス要因から「守る」要素のみを考えがちであるが、会社を健全かつ持続的に成長させるという企業経営の目的において、「守り」と「攻め」は表裏一体の関係にあり、両者は単純に切り分けられるものではない。
例えば、取引の相手方との契約交渉において、自社に少しでも有利な取引となるよう、自社が得るべき利益を確保しつつも、当該取引において発生し得るあらゆるリスクを洗い出し、 事業部門にアドバイスするのは「攻め」とも「守り」であるともいうことができる。この「攻め」と「守り」の2 役を 1 部門で担うのは適切ではないとの判断の下、企業によっては、経営戦略部門、知財部門、リスクマネジメント部門、渉外部門等と分散して法務部門とは別に担っているケースも多い。
また、国際的にも様々な規則や法規、法令の大きな変化が進み、リーガルリスクが多様化・複雑化する昨今の企業において、法務部門のみならず、経営層においても、自社が締結する契約書において、どの条項が自社にとってリスクになり得るのかリスクを精査できる能力を備えること、自社に関連する法令の改正動向を把握したりして法的リテラシーを高めることなども必要になってきている。
ここで求められるのは、前述の通り、GC・CLOとなり得るような企業の法務機能を担う人材である。経営・法務が一体となり強固な経営戦略の構築が必要な今、経営陣の一員としての職責を果たすポジションとして新たな法務機能を担うスキルを持ったプロフェッショナル人材が求められている。
しかし、日本企業でこれまで行われてきた人材育成はジェネラリスト育成が中心になってきた。(ここにいう「ジェネラリスト」とは、特定の分野に特化せず、企業において幅広い業務を経験することで、広範囲の知識や経験を有する人材を指す。)
ジェネラリストで構成された今までの法務部門においては、昨今の複雑化・多様化するビジネス環境に対応できるだけの法務スキルが十分に備わっていない場合があり、その役割を果たすために必要となる人材の枯渇に直面しているという課題がある。また、法務関連業務が拡大し、法務部門の役割が増大する一方で、その役割を果たすために必要となる人数が、法務部門に十分に備わっていない場合もある。
法務部門の重要性や役割が増大する中、限られたリソースで法務部門としての最大限の価値が発揮できるよう、法務部門の領域を再度検討し、法務部門として何を取り組むべきなのか、その業務範囲を適宜見直し、変容していく必要もあると考える。
[最後に]
平成から令和に年号も変わり、間もなく2020 年を迎える我が国のビジネス環境は大きく変化している。ビジネスのグローバル化、IT技術をはじめとするイノベーションの進展やレピュテーションリスクの増大等によって、企業のリーガルリスクもこれまで以上に複雑化・多様化している。
こうした状況下において、外国企業との競争に勝っていくためには、経営にリーガルの視点が必要不可欠となっており、リーガルリスクの対応において法務部門が果たすべき役割が今後も益々重要となる。ジェネラリスト育成を推進してきた過去の企業法務から脱却し、これからのグローバル社会に求められる企業法務の新たな役割、そして専門的法務、スペシャリストの活用を議論した上で、日本企業の競争力強化に資する経営と法務機能の在り方を中心にこれらを今一度整理する時期にある。
企業における法務機能とは、法令その他社会的規範の下で、事業活動が適法かつ適切に行われ、企業が健全かつ持続的に成長するよう、法的支援を行うことである。企業の成長という観点から、リーガルリスクをただ回避する(守り)だけではなく、ルールの捉え方や視点を変えることで、新たなビジネスの創出、市場の獲得(攻め)が可能となるという発想の下、法務と経営が一体となった戦略的経営を実現することが不可欠である。
さらに、リーガルリスクが多様化・複雑化している中にあっては、法務関連業務は、従来からの業務と比べても拡大傾向にあり、企業として変化し続ける世界の法令や規則、ルール等にどのように向き合っていくかという課題が存在する。経営層と「リスクマネジメント」に特化した専門部署である法務部門が共にその機能性を高め合い、リーガルリスクを「チャンス」に変えていく戦略的な法務機能の実装が求められる。
以上